| 2005年度
2005年12月3日
朝日カルチャセンター公開講座では「タッチセラピーにできること」〜小児はりのすすめ〜 と題して
実演を交え紹介しました。
講師 NPO法人マブベえがおの会代表 大極安子氏と 鍼灸ジャーナリスト「松田博公さん」です。
10月19日
板橋第一小学校の吉田様より講演会の感想をいただきました。
・よかった
・本当に効果があるのでしょうか
・大変面白かったです。ありがとうございました。
・すごく勉強になりました。すぐにやってみようと思います。
・直接我が子のことを伺えて大変参考になりました。
・大変よかった
・自分の子どもがアトピーなので為になりました。帰って実践したいと思います。
・先生方が熱心に子ども達にタッチセラピーを行っていただいて、子ども達も気持ちよさそうでした。
・今までと違った講演でよかったと思う。子どもも参加できたらもっとよかったかな。家に帰って実践したいと思った。
・直接子どもにしていただき、やり方を教えていただけたので嬉しかった。もう少し沢山の参加があると先生にもよかったのでは
・薄い皮膚に自律神経があるとは知らなかったので大変勉強になりました。
・皮膚の刺激でアトピーなどに良いとスキンシップにもなるので、子どもと楽しみながらタッツチセラピーしていきたいと思います。
・子どもの体のちょっとした病気はいろいろあるのですが、全て薬に頼るのも疑問があったのですがとても参考になりました。子供も興味を持ったようで大変よかったと思います。家で続けたいと思います。
・スプーンの使い方、子どもへの施術など直に先生に関わっていただきとても分かりやすかったです。ほんの少しのタッチセラピーをしただけでも肌の様子が変化するのに驚きました。伺ったお話を参考にアトピー、風邪の季節に試してみようと思いました。
・大変興味を持ち素晴らしい会でした。
・天候が悪くて残念
・講演内容「タッチセラピー」の詳しい資料がほしかった。
☆病気によって触る部位など、年齢によっての触り方などの資料が手元にあるとより分かりやすかったと思う。
・保育士さんがいてくれてよかった。
(お子さんをみるのが大変だった)
・もっと多くの方に講演を聴きに来てほしかった。
・講演の内容が子育てをしている母親に大変分かりやすく話していただけたと思います。お話の中で3歳、5歳、10歳と違いがあったので在校生だけでなくご兄弟(姉妹)を連れての参加者が多ければよりよかったと思いました。
沢山のご意見ありがとうございます。
次回に繋げていきたいと思います。
 
10月9日の日に板橋区立第一小学校にてタッチセラピーの講演をおこないました。

参加者は30名近くの出席があり熱心に講演を聞いていただきました。こちらの小学校は板橋区では明治創立の一番古い小学校です。
スプーンでのタッチセラピーを説明し、練習した後で実際に自分の子どもにタッチセラピーをしました。
子どもの皮膚が変わることに皆さんビックリしていました。
出席者のお母さんが活けた(?)お花をいただきありがとうございました。
 
10月9日
数日前スリランカのニマルさんより連絡がありました。ボーイズホームのトイレ工事が始まったそうです。
援助していただいた方に後ほどご報告したいと話しておりました。資金は70%集まったところで工事着工とのこと。よかったです。
 
6月18日は市川市立第一中学に講師として伺いました。毎年一度の一中フェステイバルにお招きいただいております。今回で4回目です。
今回はマブベえがおのかいから高田裕子と大極安子が伺いました。
与えられた講義の題は海外ボランテイアです。
5月の始めにべとなむのフエに行ってタッチセラピーの治療を子どもたちにした経験をお話しました。みんなとっても興味をもってくれて、質問もありました。
自分達ができることは何かしらと。
一緒に考えました。多分、今できる所から行動することだと思います。
まず動くこと。考えることは大切ですが、経験の中から学ぶこともあります。
そんなお話をしてあっという間の一時間でした。感性の素敵な中学生に出会えて
感謝
5月31日の夜9時55分初のエールフランスで成田を発ち。パリ経由で無事ポルトに6月1日の朝8時30分に着きました。
この地で開業している鴇田啓子さんのお迎えを受けました。彼女の患者さんのお子さんと、そのお友達のお子さん達のタッチセラピーの治療をする予定です。
ポルトガルは、日の光がはんぱじゃなくきついです。石の光と影がこの地の印象です。
2日間に渡ってお子さん達の治療をしました。お母さん達はほとんど働いているので、週金曜の午後と土曜の午前中に治療しました。2歳から、3歳が中心です。この地のお子さんはとても発育がよく、2歳4ヶ月と言っても、日本の4歳児に見えます。
お父さんがご一緒の熱心なご家族もありました。金曜日はカメラが作動しなくて写真は土曜日の人たちです。
夜泣きの主訴が多かったです。国境を越えても、親の悩みは同じなのだと思いました。
お母さんが鬱がかって少し不安定な人のお子さんは、逆にしっかりしていて、なんだか健気過ぎてかわいそうになりました。皮膚はとても過敏でした。
スプーン健康法をしっかりと教えてきました。
タッチセラピーがあまりにも軽い刺激なので皆びっくりしていました。この地でも根付くといいですね。
オフの時はポルトを歩き回って、古い教会や宮殿跡にいきました。見所が多すぎてとてもまわりきれません。歴史のあるポルトの近くにはローマ時代の遺跡もあり、中世の最古の大学もあり、のんびりと時間をかけて滞在したくなります。パンとチーズとワインが安くて美味しくて、小さなレストランの食事も美味しくて。。。
観光も堪能しました。そうそうポルトのいたるところで見られるタイルの壁が見事でした。
鴇田さん、ありがとうございました。有意義で楽しいたびでした。
6月8日夕方4時半成田着。
 
3月22日
いろいろあって、いきなりスリランカに行くことになって。。。。
10時45分のタイ航空で、まずバンコクに飛ぶ。
ベトナム行き10時のアナウンスが聞こえる。
ほんとなら、今ごろはあれに乗ってるのに・・・・・
バンコク経由でコロンボに入る。トランジットが長い。
結局着いたのが、23日の0時30分。
バンコクでやっとニマルさんに連絡ついたけど・・・・
ニマルさん、カントリーコード間違えてた・・・・
なかなか連絡つかず、いろいろ調べてやっと間違いに気づき、新しくカントリーコードを調べて・・・
この間約2時間格闘しました・・・・
ニマルさん、少しうっかりやさん。本当にいるかなと思ったら、いました。よかっ
た・・・・
真夜中の三時にホテル着。凄いんですよ、車を飛ばす飛ばす。。。
途中で、検問があります。内戦の国なのです。
おまわりさんが関所のようにいました。
午前三時にホテルの人をたたき起こして、チェックイン。
ニマルさん、大丈夫、大丈夫、遅く来ると言ってあるからと言ってたけど、うーん、限度と言うものがあるわよね。
3月23日
遅めの朝ごはん。コンチネンタルスタイル。トーストと紅茶がおいしい。紅茶はおかわりをする。
パイナップルがこんなに甘いなんて。。。芯まで柔らかいんですよ。
午後はスプートニクに行く。
今回の支援の連絡場所となっている様子。いくつかダンボールがあり、若い日本語学校の生徒たちが手分けして働いている。
| ここで、二マルさんに、支援金の20万円を手渡す。 |
 |
このお金を基にこれからリストに従って、必要なものを買ってくるのだそうだ。
室蘭にいたことある女性と話す。二デイアさん。ご主人が日本に留学中とのこと。
お昼ごはんを日本語教師の佐川さん、エシャンタさん、と食べる。スリランカ形式で、手で食べる。
慣れると、この方がカレーはおいしい。
夕方、フリーマーケットに荷物を運ぶ一団とホテルに向かう。さっきの荷物はフリーマーケットに出すためのものだった様子。
ずいぶん衣類とダンボールが出ていた。
フリーマーケットの場所を確認して、私をホテルまで送ってくれる。
ニマルさんはこれからお金を換金して、リストに従って買物するとのこと。
夜、スプートニクと違うもう一つの日本語学校の先生である、阿部純子さんと会食。明日彼女が創設したさくら幼稚園を訪問することになっている。
津波のこと、支援のこと、支援物資がフリーマーケットなどに横流しされることもあると教えてくれる。
3月24日
7時30分に阿部純子先生が迎えに来てくれる。
早めに食事をと思い、7時にホテルの食堂に下りたがなかなか出てこない。
オーダーを聞いているのに。。。客なんて私一人しかいないのに。今か今かと待って・・・
やれうれしややっと食事が来ました。と思ったら、純子先生が向こうに。。。。
もう7時45分になっていると。。。。
あわててお茶を一杯口に含んで、出かける。
幼稚園は広大な敷地に建っている。門を入って、ゆったりと園庭を小道伝いに歩いていくと、小さな丘の上に園舎が点在している。園舎の裏には幼稚園教諭になるためのトレーニングセンターが併設されている。ここは、スリランカの幼児教育の発信基地でもあるのだ。

パステルカラーの壁面絵画はファンタジックで、子どもたちが感性豊かにのびのびと生活できそう。
純子先生が描いたのだそうだ。緑の木立に囲まれて、違和感無く周囲に溶け込んでいる。
壁の下に穴があいていて、そこから自由に子どもたちが出入りできるようにしてある。
いかにも子どもたちが冒険の夢を紡げそうなスペース。これも彼女の発案。
でも、今は彼女は、幼稚園を現地のスタッフに任せて手を引いている。穴は管理
上の理由で網が張られている。んー
。
自由保育のはずが、デイリープログラムに従って、歌、お集まり、今日の課題と進行している。
んー。まあ、自由保育はかなりの力量が無いとやれないし・・・。
純子先生は何も言わないけど、現地に任せたら、当初の夢とは少し違った方向に行き始めている現実なのかな?
園長先生とお会いする。子どもたちの治療は、勿論許可くださる。
先生たちは落ち着きの無い子や、知的に遅れのある子を連れてくる。
気になるのでしょうね。
幼稚園の訪問、治療の後は純子先生の自宅でやっている日本語学校にご一緒する。
3人のコロンボ大学の卒業生が一級を受けるために来ている。
真面目、勉強熱心。
日本の全体の為に個人の欲望を押さえる美徳?(会社、組織優先?)のことを彼女らから褒められる。
んー。少し複雑な心境・・・。
そのことで、彼女らと話し合う。呑み込みが早く優秀な人たち・・・・
純子先生は何をやっても形を成す人みたい。優秀で、エネルギッシュなのだろう。
この小さな日本語学校から、一級合格者を多数出して、スリランカの最優秀賞の受賞者を今回出したのだそうだ。少数精鋭という言葉がぴったり。
日本語の勉強がが一段落したので、湖畔にあるレストランのカレーを彼女の生徒たちと食べに行く。
彼女のまわりは、いつも生徒たちが取り巻いている。フランクな雰囲気は先生と言うより姉御と言った方がぴったり。
帰りしなブラックマーケットを教えてもらう。銀行より手数料が安く、レートがいいのだそうだ。
裏町にあるそれは、一人ではとてもいけそうもない。いかがわしさは、パチンコ屋の裏にある、換金所といい勝負。
それもやくざのいそうな。。。。ここもマフィアがやってるとのこと。
町育ちの悪童といった風情のダクタリと一緒に行く。ダクタリは20歳。平然と円をルピーに換える手続きをする。
恐かった・・・・けど面白かった。
純子先生とマイスキー、ダクタリの三人の鍼治療をする。皆肩がこっている。パソコンのやりすぎか?
3月25日
今日はフリータイム。
23日にスプートニクで会った女性が今日は観光案内してくれると二マルさんに言われる。
純子先生がシーギリヤを見にいこうと誘ってくれたけど、せっかくニマルさん達が設定してくださったので、ありがたくお受けする。
ホテルに来た車を見てびっくり。
一族郎党乗っている。
二デイアさんのお父さん、お母さん、運転する男性、乳母、二デイアさんの赤ちゃん、そして二デイアさん。んーむ。びっくりした。
この構成で今日一日にぎやかにやるのです。
キャンデイにいき、仏歯寺に行くとのこと。途中、象の孤児院に行く。今日は休日なので混んでいる。混んでいるけど大丈夫?と聞かれる。
浅草になじんでいるので、お寺も何もかも混んでいても平気。三社祭の凄さに比べたら穏やかなものよね。
スリランカ風のお弁当食べて、最後は植物園で終わり。
車中、彼女の村にも来て欲しいと要請がある。
外国からの訪問は大歓迎だと。彼女の母親は高校の先生、彼女の父親は教育委員会みたいなものにいた様子。今は結婚式場を経営していると。
病気の時はシャーマンのお世話になることもあると。シャーマン?私の耳がピクンと動く。
会ってみたいな。心が動く。いってみたいな。
彼女のお父さんとお母さんの鍼治療をする。お母さんはひどい50肩。
3月26日
今日は二マルさんとボーイズホームに行く予定。
午前中、2時間ほど時間があったので、スリービー、(三輪車の乗り物)にのって、インターネットカフェにいく。
50ルピー。なかなか快適。タクシーは見かけないけど、この小さな乗り物は町中を走っている。庶民の足。むき出しの座席に屋根つき。風が気持ちよい。
二マルさんはここ10年近く、自分の誕生日にボーイズホームにお昼ご飯を差し入れしている。今日もお昼ごはんの
差し入れをするとのこと。二マルさんの誕生日ではないけど、少し回数を増やしたのだろうか。
ボーイズホームはクルネガラ市の市街地にある。
およそ75人の男の子が入っている。
学童期から、高校生ぐらいの子が在籍している。
殺風景な園庭に、殺風景なコンクリートの低く平たい建物がそれだ。
私たちを見つけて、10歳ぐらいの男の子達が駆け寄ってくる。
つんと鼻をつくアンモニア臭。
服はあまり取り替えないのだろうか。袖のところが破れている子もいる。
食事の為に先生が白いシャツに着替えさせる。
ずらりと並んだ食卓の子ども達。一人の子がお礼の挨拶をして食事が始まる。
貧しいがきちんとしたけじめ。
子ども達の部屋は教室に鉄のベッドを置いてあるだけといったふう。野戦病院のよう。
これでもいいほうなのだと。なるほど、きちんと掃除されている。
このホームは貧しいのだろうが、ごみは落ちてなく、掃除はいきとどいている。
職員の方の心意気を感じる。
ニマルさんにトイレをみせてもらう。薄暗くて、におっていて、壊れている所が多くて、使用が何とか可能なのが3箇所ぐらいか。カメラを向けたが暗くて半分ぐらいしか撮れなかった。
ニマルさんが何とかしたいと言うのがわかる。
トイレの改修には30万円かかると。
場所が場所なので、一気に直さなくてはならない。
今日、日本からの支援金が10万円、残りをどうかきあつめるか。。。。
20万円は日本なら贅沢なハンドバッグ一個ぶんだが、ここでは、公務員のお給料2年分ぐらいに相当する。
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園長先生に支援金の10万円を渡して、私のお使いの半分は終わり。ふーやれやれ。肩の荷が下りた。
さて、明日は海岸の支援に同行してと思ったら、今日の夜に発つとのこと。
えー、聞いてないよー。何時なのー!
今晩8時ごろスプートニクを発って、バスでトリンコマレに行き、そこのホテルに泊まると。
従って、今夜、私は泊まっているホテルをチェックアウトして、スプートニクの皆と合流とのこと。
ニマルさん、忙しいのはわかるけど、いきなり言わないで。。。。
帰って、荷物をパッキングしなくては。今日の夜チェックアウトなら事前にそう言ってよ。。。。
午後5時にコロンボ空港に日本人の福田さん達一行が日本から到着するとのこと。今回の支援のオブザーバーとして参加するので、それと合流して出発とのこと。
そんなこと一言も言ってないじゃない。
そういえば純子先生が、昨日夜訪ねて来て、私がホテルを出るのは明日夜だと二マルさんから聞いたのでと言ってた。。。。
純子先生には言って何で私には言わないのよ。。。。
まったくもう。。。。
ぼやいてもしょうがない。やるのです。
慌しくパッキングして、ホテルをチェックアウト。
スプートニク到着7時半。バスはそこにあるけどまだ出発の気配なし。
空港からまだきてないとのこと。
待つことしばし殆ど11時過ぎに日本人の一行が到着。
女性三人組。空港からここにきて、そのまま移動。慌しく動く。
荷物をここに置いて行くように二マルさんに言われる。
えー、明日私は支援終了後空港に直行するんじゃなかったの。
もう一度ここに戻ってから行くのだそうだ。せっかくパッキングした荷物から、当座必要なものを引っ張り出す。
トホホ・・・純子先生から託されたお土産がトランクにいっぱい。パッキングも大変なのよ。
先に言ってよ・・・・
結局12時近くに出発となる。
これがスリランカ流・・・・
ぶんぶん道路ではぶっ飛ばす。追い越し追い越し・・・・・
本当に恐いほどバスはぶっ飛ばす。
その反面時間にルーズと言うか・・・・。
まあ、いつかはやれるのでしょうが・・・・。
これから4時間の行程とのこと。
退役軍人のマッチョ軍団を含む20人ほどがバスに乗り込んでいる。
つかれてうとうとしていたら、彼らが歌い始める。
単純なリズムだけど、楽しくなるメロデイー。手を叩き足を踏み鳴らして楽しそう。
でも元気だ-ーー。
スプートニクの日本語教師の佐川さんに彼らのタフさに驚いたと言ったら、彼らは普段ボートしてやることないから・・・・といっていた。
3月27日
怒涛のマッチョ軍団の歌声も静かになり、バスは明け方4時過ぎにホテル着。といっても、ほとんど何も無い一階建てのコンクリートの箱。
倒れるようにベッドに横になると、日本人女性一行の一人が具合悪いと。。。
喘息の発作をおして今回来たのだと。強行軍で、具合がかなり悪いと。
治療を頼まれる。とりあえず、天突と、大椎の横を刺す。呼吸が楽になったと。
よかった、これで寝られる。
朝7時起きて・・・・・、これから食事に行くと、そういわれて慌ててバスに飛び乗る。
どっかの食堂に行くのかなと思ったら、近所のおうち。遠藤氏がホームステイしているとのこと。
どうやら網元らしい。
朝から、家庭料理のカレー、果物、アイスクリーム、ミルクティーなど。
家具調度の立派なこと、テレビ、オーデイオなど、スリランカに来て、こんなに豊かな家は見たこと無い。この地方の豪族といったところか。遠藤さんはとってもお金持ちの人とお友達。ありがとう。おいしかった。
で、このまま出発と。。。えー先に言ってよー。。。。
治療道具や、荷物、ご飯食べに行くと言ったから、置いてきたままよー。
たまたま来ていた、スリービーに飛び乗って取りに帰る。2、3分のとこだけど・・・
もう置いていって出発して、帰りに取りに寄りましょうと二マルさんは言う。
せっかちなのかのんびりしているのか・・・・
近所のバス運転手の家に寄る。
津波の前にバスの下敷きとなり下半身が麻痺している。
彼の家族は妻とまだ幼い子を含む三人。
彼の父親が彼の面倒を見ていたが、脳梗塞を起こす。
それも回復して、これからと言う矢先に彼の父親は肺炎であっけなく死んでしまう。
残された家族、バスの運転手・・・・どうするのだろう。
ニマルさんと一緒にお見舞いに行き、見舞金を手渡す。無力感・・・・悲しみが深すぎる・・・・
ベッドに横たわる彼は、荒い息をしている。
上にかけられた薄い布団が上下している。私たちを見る彼の目は、淵のように深い絶望が感じられる。写真を撮らせてもらう。ごめんなさい・・・市街地を抜けて停戦ラインを通る。ここでの写真撮影は禁止とのこと。軍隊の物々しい基地がある。ここは、内戦の国でもあるのだ。
ラインを抜けて、波止場に着く。
向こうにある小さな島にフェリーに乗っていくのだと。鉄の筏と言ったようなフェリー。
30分ぐらい待って、がやがやと行く。バス、トラック、乗用車、いっぱい乗っても沈みません。ベトナムでもそうだったけど、不思議。
この島はタミル族が多数を占めている。
従って、政権を握っているシンハラ族から、支援において差別されているとのこと。
スリランカ国内でも支援の差別は問題になっていると。
そろそろ各国のNGOが、引き揚げ始めているときなのだが、ここの三箇所の避難所には、鍋や釜すら届いていない家庭が多い。
ケアスリランカの聞き取り調査を基に必要なものを各家庭別にパッキングして、名前をつけて届に来たのだが、くすり、調理器具、おもちゃ、など、三ヶ月あれば、ほとんどいきわたっているはずのものが、ここには届いていなかったのだ。
今回の私たちの訪問は現地のNGOが共同で、取り組んだ支援活動だ。ケアスリランカとNLOが、現地聞き取り調査、NLOが日本からの支援金で物資を調達し、スプートニクの協力で、パッキング、運搬を執り行った。
3ヶ所の避難所の人たちは憔悴した顔をしていた。でも精一杯私たちを笑顔で迎えてくれた。
それぞれの家庭に物資が渡る。ささやかな支援だが本当にきてよかった。ここは取り残された島なのだ。
まだ、これからのことは、なんのめども無いとのこと。
トイレ、風呂も無い生活。近所の人に借りているが、まいにちのことなので、気兼ねもあると。。。
13歳の女の子が吐いて倒れる。このところ食事をしないとお母さんが言う。おなかを見ると、ガスがたまっている。これでは食べられない。。。。
13歳の女の子には、他人の家のトイレを毎日使う生活は苛酷なのだろう。特に男女の別がやかましく、女の子の制約が厳しいこの国では。。。
被災に民族的な差別。
内戦は、今のところ停戦しているが。。。
複雑な民族的事情。すっぽりと支援から取り残されてしまった人々。支援はこれからと痛感する。
さて、帰途につくのだが、ここでも、スリランカ流のアバウトさに翻弄される。
このときの二マルさんとの珍道中はまた別の機会に書きます。
でも、野生の象に、三回あえました。
どうやらこうやら空港にたどり着いてめでたく帰国の途に。はーーーー。
スリランカの現地NGOである、ケアスリランカ、スプートニク、NLOの皆様に心から感謝いたします。
日本からの支援金を有効につかってくれました。
特に二マルさんとその愉快な仲間達の尽力はとても大きいものです。
感謝いたします。
日本の支援者の皆様に、3月26日27日の活動を以上ご報告申し上げます。
 
2005年1月は千葉県立八街高校にて「ボランティア講座」の一つに参加した。
1月12日 13日
1月24日 マブベえがおの会 大極安子
八街高校 国際ボランティア養成講座
1月12日と19日はマブベえがおの会が授業を担当させていただきました。去年の授業から1年ぶりです。
初めに大極が、小山道夫氏とマブベの会の出会いを話したあと、弱い立場をわかるため、いじめの場面のロールプレイをしました。
体のケアの仕方を話しているとき、曇っていたので暖房のない部屋はとっても寒くって、みなこごえていました。長沼による、体をリラックスさせる指圧の指導に移ってから体を動かすのでぽかぽかと暖かく、皆の顔に笑顔がでました。
19日はいじめのロールプレイのまとめをやりました。みんなとっても真剣です。本当にみんな優しくて感性のいい子ばかりです。
このあと、三歳児の目線に立つと世界がどう見えるかの体験をしました。
長沼の体の話は生徒たちの想像力を刺激して、元気な質疑応答がされました。看護師として命の現場に従事した人の言葉は説得力があります。
最後は、心臓の音を聞くこと。みんなこれは大好きです。ある女の子は友達と心音を聞きあって、「体を大事にしよう」と思わず感想を洩らしました。
素敵な言葉をありがとう。いつも感性のいいあなた達から力をもらえます。
長沼、高田、大極
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